二世帯住宅で後悔している。あるいは、これから同居する前に「本当のところ」を知っておきたい——そう思ってここへたどり着いた方へ。
私は新築の二世帯で同居し、心と体が限界になって同居を解消し、数年の別居を経て、それでももう一度同居を選びました。二世帯と向き合って20年以上になります。
この記事は、二世帯と向き合ってきた20年以上の記録です。きれいごとも、同居のすすめも書きません。後悔した体験も、別居で分かったことも、戻ると決めたときに考えたことも、正直に残します。これから建てる人には、決める前に話し合ってほしいことも書きます。
長い記録なので、いまのあなたに近い章から読んでください。
まず、二世帯と向き合った時間を1分で
詳しくは章ごとに書きますが、まず全体像を1分でお伝えします。
私はまず、新築の完全同居で二世帯生活を始めました。同居は10年超に及びましたが、少しずつ後悔がたまり、あるとき限界が来て同居を解消します。そこから数年、賃貸マンションで別居しました。そしていくつかの事情が重なり、リフォームで生活を分けることを条件に再同居を決め、いまは再同居して数年になります。
- 新築の完全同居(同居10年超)
- 同居解消 → 賃貸マンションで別居(別居数年)
- リフォームして再同居(再同居して数年=現在)
先に結論を言います。私の場合、二世帯で暮らせるかどうかは、「人の相性」より「境界線の設計」に大きく左右されました。これが20年以上向き合って出した答えです。仲が良い悪いの前に、心と生活の境界線を引ける家かどうか。そこが分かれ目でした。
第1章 新築の完全同居で、後悔に気づくまで
後悔は、暮らし始めてからではありません。家を建てる前から、もう始まっていたんです。
後悔は間取りの打ち合わせから始まっていた
はじめは、階で生活を分ける案もありました。けれど打ち合わせを重ねるうちに、お風呂もキッチンも水回りはすべて共同、という完全同居の間取りに落ち着いていきました。
いま振り返って思うのは、これは誰かが悪かったという話ではない、ということです。間取りの打ち合わせでは、声の大きさや遠慮の量に差があると、プランは自然とどちらかに寄っていくんです。つまり、発言力の非対称が、そのまま図面に出てしまう。だから同居の家づくりでいちばん大事なのは、間取りそのものより「誰の希望も同じ重さで机に乗る話し合いになっているか」なのだと、私は後になって気づきました。
打ち合わせの段階で違和感を飲み込むと、その違和感は家が完成したあと、毎日の暮らしとして返ってきます。
最初に「失敗したかも」と気づいたのはお風呂だった
新築のピカピカの家。それでも、住み始めてすぐ「あ、ここ失敗したかも」と気づいた場所があります。お風呂でした。
人数が多いので、入る順番に遠慮する。湯船につかる時間にも遠慮する。本当はいちばんほっと温まってリラックスできる場所のはずなのに、まったくリラックスできませんでした。次の人を待たせていないかが気になって、ゆっくり肩まで沈む前に上がってしまう。毎日のことです。この小さな遠慮が、静かに積もっていきました。(いま思えば、あれが最初のサインでした)
このお風呂の話は、第4章でもう一度出てきます。私にとって、それくらい象徴的な後悔でした。
広いリビングで、心だけが休まらない
共用スペースは、ひと続きにつながって見渡せる間取りでした。開放感があって、広く感じて、内見のときはとても良く思えたんです。
でも、多世帯で暮らすと、すべてがオープンだということは、目に見えない心の境界線を引ける場所がない、ということでもありました。一緒に住む人数が多いほど、プライバシーに気を使わないと疲れてしまう。それが、住んでみて分かったことです。
いちばん分かりやすい言葉にするなら——そのリビングで、パジャマでゴロゴロできる?、、、私はできませんでした。いつも少し気が張っていて、家にいるのに気を抜けない。広さと引き換えに、心の休まる場所を失っていたんだと思います。
プライベート空間は寝室とトイレとお風呂だけだった
間取りのうち、私たち家族だけのプライベート空間と言えるのは、ごくわずかな一室くらいでした。あとの水回りや共用スペースは、常に誰かと共有する前提の場所です。
だから、一人になれる時間や場所が、物理的にとても少なかった。トイレやお風呂のような、扉を閉められるわずかな空間だけが、ようやく息をつける場所になっていました。プライベート空間の確保は、同居では何より大事なのだと、身をもって知ったように思います。
そして、心と体が限界になった
そうして小さな遠慮を積み重ねていったある時期、涙が止まらなくなり、無気力になりました。限界だった。
(この章の詳しい後悔は、別の記事にも書いていきます。→ 記事2「二世帯住宅はデメリットだらけ?」/記事4「二世帯住宅で嫁のストレスが限界になったとき」)
第2章 同居解消。賃貸マンションでの数年
限界のあと、私たちは同居をやめました。ここからが、この記録の折り返しです。
別居して分かった——距離が保たれると、関係は平穏になる
賃貸マンションに移って、いちばん驚いたのは、義理の家族との関係そのものが、前より穏やかになったことでした。
不思議なようですが、私の場合はそうでした。顔を合わせる時間が減り、生活の物音や気配を四六時中共有しなくなると、小さな摩擦がそもそも起きなくなる。相手が変わったわけではありません。変わったのは距離です。近すぎたから擦れていただけで、適切な距離が保たれると、関係はこんなに平穏になるのかと、静かに驚きました。(離れてみて、はじめて分かることもあるんですね)
この発見が、後の再同居の決断を支えることになります。うまくいかなかったのは人柄の問題ではなく、距離の設計の問題だったかもしれない——そう思えたことが、私にとって大きな転機でした。
ただし、お金は苦しかった
平穏は手に入りました。でも、お金は正直に言って苦しかったです。
家は残したまま別居したので、ローンと家賃の二重払いで貯金が毎月減り続けました。賃貸は共益費込みで10万円弱。契約時の礼金だけで家賃2ヶ月分超。引っ越しの初期費用がのしかかりました。しかも、生活に必要な家電はほとんど買い直しです。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、ダイニングテーブル、炊飯器、レンジ……一式そろえると、それだけでまとまった出費になりました。
生活費の一部は負担してもらっていました。それでも、貯金は減り続けたんです。通帳の残高が毎月少しずつ減っていく感覚は、平穏と引き換えに、ずっと胸の奥にありました。
それでも工夫はできた
お金がない中でも、暮らしを整える工夫はできました。
子どもたちにも自分の空間が必要でしたが、賃貸なのできちんとした間仕切りは作れません。そこで、ラブリコと木材で簡単な仕切りや棚を作りました。完璧な壁ではないけれど、視線がさえぎられるだけで子どもたちは満足してくれました。作り方しだいで案外すてきに仕上がるのが、この手のDIYの良いところです。雨の日の部屋干しは、突っ張り棒と除湿機でしのぎました。
このあたりのお金のやりくりは、別の記事で詳しく書きます。(→ 記事5「同居を解消したいけどお金がない」/記事6「同居のために建てた家、どうする」)
第3章 それでも、もう一度同居を選んだ理由
平穏だった別居を、私たちは数年で終えることになります。
別居を続けるか、戻るか——考える時期が来た
別居の平穏は、ずっと続けられるものではありませんでした。
暮らしのこと、家族のこと、そして第2章に書いた家計のこと。いくつもの事情が少しずつ重なって、「このまま別居を続けるのか、それとも戻るのか」を考えなければならない時期が来たのです。
何が決め手だったのかと聞かれると、正直、一つには絞れません。戻る理由は、きっと家庭の数だけあります。だからここでは理由を並べることより、そのとき私が本当に悩んだこと——「戻って、また同じことにならないか」——のほうを書いておきたいと思います。
でも同居では一度失敗している。どうする?
とはいえ、同居では一度、はっきり後悔しています。だから、戻ると考えたときに真っ先に浮かんだのは不安でした。
戻れば、また元通りになるだけではないか。あの気の張った毎日に、自分から帰っていくことにならないか。平穏を手放して、結局どちらも失うのではないか——。単に「元の家に戻る」という選択肢は、私にはどうしても選べませんでした。
出した答え——「リフォームで生活を分ける」を条件に、全員で話し合った
そこで出した答えが、「元の家に戻る」のではなく「リフォームで生活を分けたうえで戻る」でした。
このとき大きかったのは、別居を経験していたことです。離れて暮らしてみて、距離にどれだけの価値があるか、家族みんなが肌で分かっていました。だから「再同居はリフォームありき」という条件を出したとき、話は思ったよりすんなり進みました。夫が間に立って交渉してくれて、生活を分ける前提で全員が同意したのです。
一度離れた経験が、交渉の土台になりました。距離の価値をみんなが知っていたから、「ただ戻る」ではなく「設計し直して戻る」を、家族の共通の目標にできた。これは別居しなければ手に入らなかったものだと思います。
(再同居を決めるまでの詳しい話は、別の記事に書きます。→ 記事7「二世帯の再同居を決断するまで」)
第4章 リフォーム再同居——数年住んだ、いまの正直な答え
再同居して数年。完璧ではありません。でも、いまは「うまくいっている」と言えます。ここまで来て分かった、正直なところを書きます。
境界線は「扉ひとつ」で作れた
リフォームでいちばんやってよかったのは、階段を上がったところに、壁と木製の開き戸をつけたことでした。
正直に言うと、音は完全には消えません。耳を澄ませば、一階の気配は伝わってきます。でも、この扉ひとつが生んだのは、絶対的な安心感でした。音を完全に遮ることはできなくても、「ここから先は自分たちの空間だ」という境界線が、目に見える形であること。それだけで、心の休まり方がまるで違いました。鍵は付けましたが、両側から開けられるタイプにしました。閉じこもるための壁ではなく、心理的な境界線を引くための扉です。
良い関係で暮らすために必要だったのは、相手を遠ざける壁ではなく、自分が安心できる線でした。それが、たった扉ひとつで作れたのです。
お風呂を2つにした。順番に遠慮する毎日が終わった
第1章で書いたお風呂の話には、実は続きがあります。
二階にもうひとつ、お風呂を足したのです。予算的にはかなり迷いました。でも、つけて本当によかった。お風呂に入るタイミングを気にしなくていい。次の人のために早く出なきゃ、と焦らなくていい。湯船にゆっくりつかるだけで、心がリセットされる感覚が戻ってきました。かつていちばんの後悔だった場所が、いまはいちばんほっとできる場所になっています。
失敗もある。それでも「うまくいってる」と言える理由
もちろん、リフォームにも失敗はあります。ここは隠さずに書いておきますね。
いちばんの失敗は、トイレの音です。予算とプランの都合で、生活音の気になる場所にトイレを置くしかありませんでした。住む前は「そんなに気にならないだろう」と思っていたのですが、実際は結構漏れます。前室をつければよかった、というのは正直な後悔です。それでも、我慢してトイレを共有し続ける毎日よりはずっといい、と今は思っています。
それでも、私は「うまくいっている」と言えます。完璧だからではありません。境界線があるから、失敗があっても暮らしていける。そういう家に、ようやくなれたからです。
(リフォームの費用や設計の細かい話は、別の記事に書きます。→ 記事8「二世帯リフォームにかかった実費」/記事3「完全分離で解決すること・しないこと」/記事9「二世帯の玄関をどうするか」)
二世帯と向き合って20年以上——分かった3つの結論
最後に、20年以上向き合ってたどり着いた結論を、3つだけ書きます。あくまで私の場合の話です。
- 二世帯がうまくいくかどうかは、「人の相性」より「境界線の設計」に左右される。 少なくとも私の場合は、仲の良し悪しより、心と生活の線を引ける家かどうかが大きく効きました。
- 距離はスキルだと思う。 一度離れてみたからこそ、うまくいく距離の測り方が分かりました。近さは、必ずしも仲の良さではありませんでした。
- 家は、交渉と設計でやり直せる。 我慢でも、諦めでもなく。話し合って設計し直せば、後悔した家でも、もう一度暮らせる場所に変えられました。
これは「こうすべき」という話ではありません。私がたまたまたどり着いた、私なりの答えです。
このブログで書いていくこと
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
このブログでは、この記録の各章で触れたことを、一本ずつ詳しく書いていきます。同居のリアルな後悔、別居の暮らしとお金、家をどうするか、再同居の決断、リフォームの費用と設計——いまのあなたに必要な場所から進めるように、記事をつないでいきます。
なぜ私がこの記録を残しているのか。書き手のことは、こちらに書いています。(→ プロフィール)
あなたがいまいる場所から、必要な記事へ進めるように書いていきます。
